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​盡性園(尽性園)にまつわるエピソード

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尽性園北門(現在のメインゲート)

命名の由来

1937年(昭和12年)開園当時の第二代校長四宮茂先生によって命名されました。由来は「易経(えききょう)」説卦伝(せっかでん)と中庸朱子章句第22章から引用したもので、盡性とは、人が生まれながらにして持つ資質を極めることをいいます。

また、哲明寮は、1964年(昭和39年)に九段高校創立40周年記念事業として建設された合宿所で、第六代校長小川定胆(さだい)先生が「尚書」巻第一舜典の濬哲(しゅんてつ)文明の語句から、生徒に深い智慧と教養を期待して命名されたものです。

1936年(昭和11年)に当時の保護者が中心になって土地約20,000坪を購入し翌年開園、第一東京市立中学校の運動会が開催されました。戦時中は食糧事情悪化のために一部は農園となり、また1946年(昭和21年)には農地改革により多摩川側のおよそ5,000坪が国に収容されました。

1952年(昭和27年)に東京都立九段高等学校第1回クロスカントリーレースが開催され、現在まで毎年の行事として継承されています。

1964年(昭和39年)には旧哲明寮が完成。その後、屋外のバレーボールコートやテニスコートなどが整備されました。

1984年(昭和59年)には稲城市の要請を受け、稲城市立第四中学校建設用地として土地の一部を売却。翌年に現在の哲明寮(体育館を含む)が完成し、同時に野球場・サッカー場も現在の形に整備され、九段中等教育学校の生徒達の体育活動を支え続けています。

尽性園の体育施設は、千代田区立九段中等教育学校及び他の教育機関、稲城市民及び青少年健全育成をはかるスポーツ団体、菊友会会員などが利用しています。

千代田区立九段中等教育学校のクロスカントリーレース、部活動、合宿、地方の学校からの宿泊利用、少年野球やサッカーチームの練習や合宿にも利用されています。

​また、尽性園は稲城市との協定により、災害時には緊急消防活動隊の活動拠点および避難施設として指定されています。

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尽性園の全景(2019年撮影)
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南門から見た哲明寮
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テニスコート脇の桜が満開
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