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尽性園の移り変わり
九段の卒業生は誰もが尽性園でクロスカントリーレースに参加したり、体育会系クラブに所属した方は、週末や春・夏・冬休みには合宿や練習で尽性園に足繫く通った経験があると思います。しかしながら、尽性園の歴史をご存知の方はほとんどいないのではないでしょうか?
尽性園の移り変わりを写真で辿ってみました。

昭和11年(1936年) 10月整地作業前の尽性園敷地全景
昭和11年11月尽性園開園式に向け、生徒たちによって整地作業が終日行われた。尽性園運動場は先輩生徒の汗の結晶によって造られた。


昭和13年(1938年)生徒による芝刈り作業の模様
昭和19年(1944年)日本陸軍撮影資料
東京府下南多摩稲城村押立に約2万坪の敷地購入
*太枠内が敷地
11月20日開園式挙行体育行事が行われる
農地改革のため多摩川寄りの一部約5千坪が収用された戦後の食糧事情のため一時は農園として使用された


1948年 USA撮影写真
昭和36年(1961年)国土地理院撮影資料
九段開校40周年記念事業として哲明寮建設グランド造成工事
昭和45年(1970年)~昭和47年(1972年)


昭和49年(1974年)国土地理院資料
昭和49年(1974年)~51年(1976年)都立養護施設の仮校舎として技場南側貸与
昭和52年(1977年)第三期盛土工事開始グランドの荒廃激しく対策を協議、資金を調迷し、ようやくエ事に着工した
昭和54年(1979年)国土地理院資料
昭和53年(1978年)松林の一部を大多摩金属に
売却


昭和59年(1984年)国土地理院資料
稲城第四中学校建設用地として約5,000坪を稲城市に売却現在の哲明寮の建設開始
平成元年(1989年)国土地理院資料


平成24年(2012年)陸上自衛隊撮影
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